ジムに通っているのに体が変わらない人へ。週7で通って怪我をした僕が、1年目に分かったこと

2024年ジュラシックカップ当日、控室での鈴木慎(左)

「ジムには通っている。週2回、もう3年。でも体は変わっていない」。この状態の人は多いと思います。僕は逆でした。最初の1年は週7で通って、何も考えずに食べて、怪我をしました。それでも体は変わった。

そして今、通っているのに変わらない人を見ると、足りないものははっきり分かります。努力の量ではありません。

この記事では、僕の最初の1年に何があったかと、そこから分かった「変わる人と変わらない人の差」を書きます。僕が誰かはプロフィールにまとめています。

始まりは、自分より華奢な女性に負けたベンチプレス

2023年7月、36歳。きっかけはサーフィンの先輩でした。フィジークの選手をやっている人で、「夏にかっこいい体になりたい」と言ったら、東大和のエムスタイルジムに連れて行ってくれました。でかくて、かっこいいジムでした。

そこでベンチプレスをやったとき、隣で自分より明らかに華奢な女性が、自分より重い重量を挙げていました。それを見て「負けてられない」と思った。翌日、家の近くのジムを契約しました。

トレーニングを始める前(2023年)の鈴木慎の背中
筋トレを始める前。海で撮った1枚。

週7で通って、食べて、怪我をした

最初はとにかくジムに行くことが正義だと思っていました。週7。メニューはめちゃくちゃ、やり方も組み方も度外視、全部気合と根性。食事は「とにかく食べて体を大きくする」だけ。スタート時の体重は67kgです。

当然、怪我をしました。股関節と肩が痛くなって、このままだと筋トレ自体ができなくなる。それで初めて「やり方」を探し始めました。

YouTubeで見つけた師匠は、画面と全然違った

筋トレ系のYouTubeを片っ端から見ていたときに、山崎恭介さんの動画に当たりました。トレーニング理論を発信する人というより、「筋トレあるある」を発信している人で、とにかく面白くてずっと見ていました。

たまたま家の近くでパーソナルをやっていると知って、正直、ファンとして会ってみたくて受けに行きました。

会ってみたら、画面とはまるで別人の、ものすごく真面目な人でした。パーソナルというのは筋トレのやり方を教わりに行くものだと思っていたのに、最初にやったのは「まっすぐ立つ」ことでした。

そこから体の歪みを見て、僕の悩み(股関節と肩の痛み)を聞いて、その痛みが歪みから来ているエラーだという話をされた。そして歪みを直して、体を自然な状態に戻す作業から始まりました。

YouTubeの印象とかけ離れた博学な人で、その場で惚れました。それ以来、パーソナルは月に1回。自分で1か月トレーニングして、疑問に思ったこと、分からなかったことをノートに書き溜めておいて、答え合わせをしに行く。

この形は今も続いています。

ついでに言うと、このときから記録を携帯から紙のノートに変えました。紙に書くのは本当にいいです。理由は別の記事で書きます。

「大会に出る」と決めた瞬間から、やることが全部変わった

2023年10月、第1回ジュラシックカップ。グランドクラスに山崎さんが出場しました。登場シーンが圧巻で、めちゃくちゃかっこよかった。サーフィンの帰りに一人で車を運転しながら、配信に向かって大声で応援していました。

あれを見て、自分も舞台に立ちたいと思った。翌年のジュラシックカップ、ノービスクラスに出ると決めました。

ここが分かれ目だったと思います。「かっこよくなりたい」から「2024年10月の大会に出る」に変わった瞬間、終わりの日付ができた。

そこから逆に数えて、10月からゴールデンウィーク明けまでは増量とトレーニング、ゴールデンウィーク明けから大会までは減量、と期間が決まりました。日付がなければ、増量と減量を分ける発想にもならなかったと思います。

20kg増やして、20kg落として、予選落ち

増量期で20kg太りました。67kgから87kg。そこから大会まで、初めての減量で20kg落として67kgに戻しました。

増量末期、87kg前後の鈴木慎
増量末期。67kgから20kg増やして87kg。

地獄でした。スタートは1日1,900〜2,100kcal、最後の月は平均で1,500kcalくらい。土日は2日で合計1,000kcalなんて日もありました。

「初めての減量は筋肉を残すことは考えなくていい。絞ることだけに集中した方が次の経験になる」と言われて、その通りに死に物狂いでやりました。

そして2024年10月、ジュラシックカップ ノービスクラス。予選落ちでした。

第1回のノービスクラスを見たときは「絞れば行ける」と思っていたんです。でも本番、出場前のカラーリングチェックで裸になったら、周りが全員でかかった。その時点で絶望しました。足りなかったのは筋肉です。

ボディビルはそういう競技でした。

やり切ったので後悔はありません。予選落ちしてやることがなくなったので、そのまま一人で回転寿司に行って、帰りに二郎系ラーメンとマクドナルドを食べました。

2024年ジュラシックカップ当日、控室での鈴木慎
2024年10月、ジュラシックカップ当日の控室。左が僕。

通っているのに変わらない人に足りないもの

僕はもともとマッチ棒みたいな体格だったので、「変わらない」と思ったことは一度もありません。変わり始めたのは始めて6か月くらい。増量していたのもありますが、周りから「体変わったね」と言われるようになりました。

だから「3年通って変わらない」人を見ると、努力が足りないとは思いません。週2回3年通える時点で、続ける力はある。足りないのはそこではなくて、こういうことです。

  • 食事が「なんとなく」のまま。トレーニングだけ頑張っても、材料がなければ体は作れない。
  • 運動の中身が3年前と同じ。同じ重量、同じ種目、同じ回数を、同じ順番で。
  • 睡眠を削っている。飲み会と残業の翌日にジムに行っても、回復していない体は変わらない。

貯筋に必要なのは、食事、運動、睡眠。どれか一つ欠けてもダメです。僕の最初の1年は運動だけが極端に多くて、それでも「食べる」は死守していたから体は変わり、睡眠と「やり方」が抜けていたから怪我をした。

3つのうち2つあれば変わる、1つだと変わらない。だいたいそういう話です。

そしてもう一つ、「終わりの日」があるかどうか

もう一つ大きいのは、日付です。僕が変わったのは、大会の日付を決めた瞬間からでした。日付があると、増量と減量を分けられる。飲み会が入っても「この週はこう処理する」と決められる。

日付がないと、飲み会1回で「まあいいか」になって、それが3年続きます。

大会に出ろとは言いません。でも「いつまでに、どうなる」を決めていない人は、3年通っても3年前と同じ体でいることが多い。設計というのは、その日付から逆に数えることです。

次の記事で、本業があって時間がない人が動かせる変数は3つしかない、という話を書きます。